岩面から顔を突き出す「子生れ石」。表面には磨かれたような滑らかさがある。


「子生れ石」は、まゆ型だけではなく球形やソラマメ型などいろいろ。すでに欠けたものも見られる。


大興寺の歴代住職の墓石が並ぶ卵塔場。


無縫石の大きさは60〜80cm、100キロ前後の重さがある。

 川岸の岩盤から、丸い大きな石の玉がニョキっと顔を突き出している。思わず“ナニコレ”と首をかしげる摩訶不思議な珍風景だ。
 牧之原市(旧相良町)西萩間の古刹・曹洞宗龍門山大興寺(だいこうじ)の裏山を流れる「御相談川」と呼ばれる小川の右岸から、まゆ型の石が姿を現し、何十年、もしくは何百年もかけて、子どもが生まれ出るように、ポトリと川底へと転がり落ちるという。

 お茶畑に沿って「子生れ石」のある川原に向かう途中に小さな祠(ほこら)がある。なかには甲府地方でみられる「丸石神」のような、大きな球体の石が2つ並び、 壁にはたくさんの千羽鶴、「長寿安産子授之石」と書かれた木札が掛けられている。岩面から生まれた奇妙な石は、この地では「子生れ石」と呼ばれ、安産祈願の石として信仰を集めているようだ。

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 生まれ落ちた「子生れ石」も、川原から運び出されると石への信仰形態も異なってくる。
 大興寺では、岩面から生まれ落ちたまゆ型の石を寺まで運び、「無縫(むほう)石」と呼んで、住職の墓標に使用している。丸みをおびた卵形の塔身をのせた墓石を「無縫塔」というが、歴代住職の墓石は、すべて裏山の岩面から生まれ落ちた「無縫石」でつくられている。

 大興寺は、今から600年前の応永21年(1414)、大本山総持寺の貫主大徹(だいてつ)宗令禅師によって開山された。伝承によると、人徳の誉れ高い大徹禅師が、90余歳で亡くなる前に「わしの身がわりとして裏山より石が生まれるであろう」と言い残して大往生を遂げた。するとその直後、予言どおりに、裏山の川崖からまゆ型の無縫石が生まれ落ちてきたという。弟子たちはこの石を大徹禅師の墓石とした。以来、代々の住職が往生するたびに、必ずまゆ型の石が生まれ落ちるという。

 まゆ型の無縫塔は、29代に渡るというから、説話も枝葉をつけて成長したのだろう。──
 ──ある住職は、石があらわれ出たのを苦にして、ある夜こっそりとその石を抜いて、遠くの山へ捨ててきた。翌朝見ると、不思議なことに石は元の場所に戻っていた。一度抜き取った石は、ほどなく川底に落ち、住職も亡くなったという。
 ──ある住職は、寺の小僧が石を見つけたと知らせにくると、「その石はお前にやろう」と小僧に石を譲ってしまった。3ヵ月後にその石が転がり落ちると、小僧は死ぬが、住職は長生きしたという。

 中沢厚の『石にやどるもの 甲斐の石神と石仏』の中に、これに似た伝説として、長野県下高井郡山ノ内町の温泉寺の無縫塔、新潟県長岡市の来迎寺の無縫塔石、新潟県五泉市の永谷寺(ようこくじ)のオボト石が紹介されている。

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 最後に「子生れ石・無縫石」の成因の謎に迫ってみたい。
 解明のヒントになりそうな石が、鳥取県の日南町にあった。「目玉石」と呼ばれる「多里層のノジュール群」で、町の天然記念物にも指定されている。
 「ノジュール」とは「団塊」を意味し、砂が堆積して砂岩となる過程で、その内部に貝殻片などの「核」となるものを含んだため、周囲の砂が「核」を中心に圧縮され、タマネギ状に固まり、丸い石ができる。崖を形成している砂岩が、風雨に浸食されることで、まゆ形の石が徐々に顔を出すというわけだ。
 「目玉石」のある多里層は、海岸近くに堆積した地層で貝やウニなどの化石が見つかるという。中沢厚も「子生れ石」を訪ねた際に、おびただしい貝殻片の層を発見し、ここがかつて海岸かゼロメートル地帯であったと推察している。

 地質学に素人の知見ではあてにならないが、和歌山県田辺市本宮の【乳子大師】も同じ成因によるものと思える。
 他に「ノジュール」をネット検索してみると、
●石見畳ヶ浦のノジュール(島根県浜田市)
●鵜ノ崎海岸の小豆(おぼこ)岩(秋田県男鹿市)
●竜串海岸のノジュール(高知県土佐清水市)が見つかった。

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2013年12月8日 撮影


祠のなかの巨大な丸石。大きさは約45cmと30cm。



東海の名刹・曹洞宗龍門山大興寺。
今から600年前、大徹和尚によって開山された。

国道473号線沿いの「子生れ温泉」から、山側にある清風園(老人ホーム)の前に案内板と駐車場がある。【案内板】